本と映画。「砂漠の影絵」と「存在のない子供達」。その2。
「砂漠の影絵」を読みきってすぐ「存在のない子供達」を観たわたしは、完全に景色がリンク。
砂漠の影絵の舞台は主にイラク、存在のない子供達の舞台はレバノン。いずれも「中東」というくくりでは同じだけれど、一応地図で場所を確かめた。
主人公は推定12歳のゼインという男の子。ネタバレじゃん!と言われるほどうまくストーリーを語れる能力はないのでご安心を。
ゼインとその兄弟姉妹たちは最貧困層、両親から「労働力」として扱われ、出生届すら出されていない。毎日を生きることに精一杯の子供達は、それでも働いて日銭を稼ぐ。日銭は全部、両親に取られてしまうのだけど。
やがて推定11歳と幼い妹は両親によって理不尽に売られ、ゼインは激昂し家を飛び出してさまよう。そして子連れのラヒルと出会い、ラヒルの家で居候をしながらラヒルの赤ちゃん・ヨナスの面倒を見る。
この赤ん坊のヨナスが、もうめちゃくちゃ可愛い。シリアスなシーンも、ヨナスの演技指導などないナチュラルな仕草が、思わずスクリーンに手を伸ばして抱っこしたくなるような。
ヨナスのお母さん・ラヒルは不法移民で、このヨナスも出生届が出されていない。でもこの2人の決定的な違いは、ゼインは親に「労働力」としてしか見られていないけど、ヨナスは母親であるラヒルに愛されている。
両親を訴えたゼイン、その罪状は「ぼくを生んだ罪」。
「かわいそう」とかそんな言葉では言い尽くせないこの映画。けれどどうしようもなく胸が痛くなるシーンも多々あった。
終盤、バラバラになったゼインとラヒルとヨナス。ゼインとラヒルは留置所に入れられたのだけど、ゼインが呼ばれて廊下を歩くのを見たラヒルは、叫ぶ。
「あなたはどうしてここにいるの?ヨナスは?私のヨナスはどうしたの!」
一緒にいるはずのゼインとヨナス。そのゼインが1人でこんなところにいれば、ヨナスのお母さんであるラヒルにとっては当然の叫びなのかもしれない。
でも。ゼインはそれまで、一生懸命にヨナスを守ろうと頑張ってきたのに。突然逮捕されて帰ってこなくなったラヒルの代わりに、ヨナスの面倒を見てきたゼイン。そのゼインを誰も心配してない。ゼインの顔を見て「無事だったのね」と言ってくれる人がいない。
どうして僕は生まれてきたの?
ラスト間際のシーンで、赤ん坊のヨナスはギャンギャン泣いていた。撮影だということは忘れて、この子はお母さんと何日間も会えずにミルクも飲まずに暗闇の中でいたのだろうかと思うほど、ヨナスは力いっぱい泣いていた。
スクリーンに「おいで!」と手を差し出したくなるほど。
はあ〜〜
泣くに泣けない、なんか辛い映画やった。。でも観て良かったわ。