他人の中に自分の幸せはない。
毎日の中にある小さい幸せ。
わたしは、食器洗いスポンジを取り替えたとき
泡立ちの良さと使い心地に幸せ。
お客さまとの会話で出てきた小さい幸せ。
バック駐車が一発で決まったとき
(めっっちゃわかる~でも前向き駐車のほうが
出すの難しいねん)
留守電に切り替わる4回コール直前で
受話器をとれたとき
(ほんでそんな時に限ってセールス)
息子の携帯をいじっていた孫から
電話かかってきて鼻息だけ聞こえるとき
(お孫さんは1歳。公衆電話からならイタ電です)
録画するの忘れてた~と思ってた「教場」が
実は予約録画出来てたとわかったとき
(わたしも教場みてる~)
そのほかにも
応援してた市議が当選したとき
アラームが鳴るより一瞬早く目が覚めたとき
買ったキウイが甘かったとき(オシャレ)
などなど色々ありました。
人に幸せをゆだねるとしんどい。
こうしてくれたらいいのに。
こう言って欲しいのに。
なんでそんなことするの。
そんな言い方しなくてもいいやん。
そんな言い方ないと思うわ。
どうせわたしは松田聖子よ。
相手の真意を疑って、あれこれ突っ込んで
問い詰めたり正論で固めても
自分の望む答えは返ってこない。
相手の携帯電話をのぞいたり
行動を抑止したり
不機嫌な態度で自分の気持ちを
察してもらおうとしたり
めちゃくちゃ気持ちわかるし
若いころはわたしもそうだったけど
結局
そこから幸せは生まれないよ。
幸せは自分の中にある。
アイデアルは今日も平和です。