今更ながら気づいた大事なこと。
意外すぎるルートから、旧友が旅立ったことを聞いたのは先月。でもあまりに荒唐無稽だと、その話の端々に確かなものを感じつつも笑い飛ばしていました。 いえ、嘘だと思いたかった。
けれど、やっぱりそれが事実だとわかったのはここ1週間ほど前のこと。
数年会っていなくて、でも会えばいっつも昨日も会ったかのように話が出来て、付かず離れずの関係が心地良かったし、またいつでも会えるって思ってました。
イギリスに留学したとか、転勤で東北に行ったとか、「前もって言ってくれてたら行く前に会えたのに〜」って言えるけど、もうどこを探しても彼女がいないなんて、嘘みたい。
このご時世、お別れも言えませんでした。
愛される彼女だから、きっと間遠になっていたわたしなんかよりも、身近に頼れる友達や同僚、もちろんご家族がしっかりと彼女の支えになってくれていたことでしょう。
彼女の人生の最期に、何の役にも立てなくてごめん。わたしはいつもそうやね。
この1週間、仕事をしている間はしゃっきりしていたけど、1人になると息を吸うたび涙が出てきて、布団に横になっても眠れずただただ泣くしかなかった。
彼女は新型コロナウイルスで亡くなったのではありません。
だから一緒くたにして話をするのは.違うとは思うけど…ひとつだけ言いたいことがあります。
今、また新型コロナウイルスの感染者が増えてます。
海外よりも日本の死亡者数は少ないと言われてる。でもその「海外よりも少ない死亡者」のおひとりおひとりに、今まで生きてきた人生があり愛してきた人がいたはず。
もしあなたの周りの愛すべき人が1人でも亡くなったら、例え海外より少ない死亡者数だとしても、逆にたくさんの人が亡くなったんですよと言われても、あなたの悲しみの深さは変わらない。あなたが「そうか、じゃあ仕方ないね」と思える材料には決してならない。
「でも、実際に重症になる確率は低いんでしょ」
「そんなん気にしてたら何も出来ない」
って言う人の気持ちもすごくわかります。
わたしは気にし過ぎて、過剰に防御体制をとり過ぎて、一部の人からは揶揄されることもある。
でも今一度考えてほしいんです。人がひとり亡くなることの重さを。それがあなたの大事な人だったら、ゲームのようにリセットできない、今度からは気をつけるねと何度叫んでも元にはもう戻らない。コロナだろうと他の病気だろうと事故だろうと、時間は1秒たりとも戻らない。
いま、わたしも後悔ばかりです。
彼女ともっと会いたかった。思い出話に、爆笑したかった。もう何度叫んでも、ダメなんです。