言葉にすることで自分の気持ちを再確認。
昨日・今日と連休を頂いてました。
昨日の昼間に、珍しい友人からの電話があり、ちょうどその時は別の友人といたので夜折り返し電話をするねと約束して電話を切りました。
なにやら少し、込み入った内容にも思えたので。
私たち世代の女性、体力的にも精神的にも成熟して、というと聞こえはいいのですが、更年期シーズンのかかりともいえる年代です。
少しづつ無理がきかなくなり、気持ちも揺れ動きます。
感情の振れ幅が大きく、ちょっとした事で感動したり、また逆に何ともないことでひどくショックを受けてみたり。
昔はこんなことぐらいで泣かなかった、と思うようなことでも、涙が溢れてきたりします。
自分を理解してほしいという気持ちも強いけれど、漠然とした心の内をうまく言葉に変えることが出来ず、また
「こんなことを言うと、変に思われないだろうか」
「この歳でこんなことを思うのは、子どもじみているのだろうか」
と、余計な「オトナ心」が邪魔をします。それはもちろんわたしも、そしてわたしの周りの女友達もそう。ひょっとしたら男性もそうかもしれませんが。
夜、お互いの子どもたちが自室に入って自分だけになってから、電話で色々と話を聞きました。
彼女は毎日とても頑張っている人なのですが、その裏側にある弱さや本音をなかなか出せない人。
そしてきっと、私にも似ている人。
「まかしときー!何でも聞いたるよ」
なんて人にはどーんと胸を叩くけど、本当は自分の中にあるモノも吐き出させてもらいたい。
でもうまくそれを言えない。
人は話を聞いてもらいたい生き物です。
自分に共感してもらいたい、同調してもらいたい。もちろん時には厳しく諌めてほしい。
褒めてもらいたい、寄り添ってもらいたい。
それをわたしも、そしてたぶん彼女も、知っています。だからこそ、わたし達は人の話を真剣に聞きます。
代わりになにかしてあげることはできなくても、その人の気持ちが吐き出すことで少しでも楽になるように。
でもそれと同時に、自分自身の心の内も吐き出したくもあります。
話すことで、その自分の声を耳から入れて再度脳に再インストールして、自分が何をどんな風に思っているかを改めて客観的に考え直すことができます。
そして思いを言葉にすることで、相手に伝えることが出来ます。
その思いが間違っているかもしれない。でも誤解されていたことが、会話によって氷解することもあります。
もちろん、話した事によって余計に相手との距離が出来てしまったり、伝わらず寂しく辛い涙を落とす日もありますよね。
「言わなかったらよかった」
「言ってもわかってもらえなかった」
そんな後悔、わたしにもあります。
でもそれでもやっぱり、言葉にしないと伝わらないことがあるのです。そして、言葉にする事で何かが変わります。前進かもしれないし後退かも、あるいは崩壊?成就?それは誰にもわかりません。
その友達とは、実に1時間半の長電話(*^^*)
夜中1時くらいまで話したでしょうか。話しながら、泣いたり笑ったりと忙しかったけどいい時間でした。
いつもは人の聞き役ばかりしているであろう彼女、少しは気持ちを整理できたかな。。。出来てたらいいなあ。。。